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2008年5月13日 (火)

遺書に名前を 密室脱出法の実演三

「じゃが、あんた」と、黒鹿毛老人。「あんたのやったことは、屋根の上にいかにして上がったかということだけじゃ。そこからどうやって脱出したかは、まだ見せてもらっておらん」
「それはこれからお見せします」
 菊池は屋根を西側の方に移った。俺達も小屋をぐるりとまわり裏側へ。
 そこで見たものは、腕組みして考え込んでいる菊池の姿だった。
「どないしたんや」と、老人。
「小屋と崖の間が、人に聞いたより広いんですよ」
「昔からずっとこんなもんやったが」
「思い切ってやってみましょう」
 そして菊池は、えいとばかりに崖に飛びついた。しかし飛びついたところは、ほとんど崖の下の方だった。
「こうして崖をよじ登って、脱出したんだと考えたんです」
「冗談やないで」と、老人。「そんな方法やったら、崖にはよじ登った手や足の跡が残るやないか」
「でも、そんなところまでは見なかったでしょう」
「下を見てみろ」
 そこには崩れた土や小石が、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。
「こんなふうになっていたら、いくらわしが惚けててもわかるわい。それに後から崖の上も見回ったけど、草が折れたり、足跡が残っていたりという、そういう痕跡はなかった」 菊池はずるずると崖を下りてきた。小屋の屋根に飛びつくと、再び屋根に上る。菊池が屋根の上で動くたび、妙にぎしぎし鳴るのが気にかかる。
 おりしも初夏の太陽光線がまともに当たるブリキの屋根。「ここは暑いなぁ」と、汗を拭う。
「何かわかりましたか」と、俺。
「ここから崖の上まで飛び移ることは、不可能だな、たとえオリンピック選手でも」
「そこから道路まで飛び降りたんやないですか」
「そっちの方がもっと無理だよ」
「電線を伝って、電柱から脱出したんやないですか」
 菊池は屋根を北東の角へ移動した。そして切れて垂れ下がっている電線をつまみ上げる。
「こんな細いのでは、人の重みには耐えられないよ」
 俺はさらに考えた。
「屋根と崖の上に一枚の長い板を渡して、その上を歩いて崖の上に脱出したというのはどうかな」
「それじゃ十メートル以上の長い板がいるやろな」と、バディ。
「梯子みたいなものでもいいんやないか」
 小屋の軒下にまだ梯子が残っていたので、俺とバディで取り外し、屋根の上の菊池に渡した。
 菊池はそれを崖の上に掛けようとしたが、全然足りなかった。
「どや、こんな方法ではあかんやろ」と、老人。「たとえ十メートル以上の板や梯子を用意していたとしても、崖の上が少し崩れて、跡を残すやろ。それにそんな長い板一人で引きずって歩いたら、崖の上に跡が残る。一人ではなくてたくさんの人間で運んだのなら、多くの草が踏みつけられて、もっと多くの跡を残すはずや」
 ということは、崖の上から犯人が脱出したと見るのは、無理があるのか。
 それにつけても、さっきからみしみし軋む音がだんだん大きくなってきている。
「梯子を受け取ってくれ」と、菊池。
「あいよ」と、俺が上を見上げたその時である。
 梯子が、屋根が、屋根の上の菊池が、俺に向かって迫ってきたのだった。
 ガーッという轟音と共に、小屋が崩れてきた。
 俺は後ろ走りをして、かろうじて崩れた小屋の下敷きになることは免れた。
 しかし、屋根から落ちてきた菊池を受け止めようとして、受け止めきれず、筋肉の塊であるところの体の下敷きになってしまった。のみならず、おでことおでこがごっつんこ。遠のく意識の中で、老人のつぶやく声が聞こえた。
「これで壊す手間が省けたわい」

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