2008年5月16日 (金)

遺書に名前を 密室脱出法の実演五

 そんなことを話していると、客が集まり始めた。ただでさえ今夜はむしっとするので、リカちゃんはクーラーの設定温度を少し下げた。でも俺は、多少暑いぐらいが好きなんだが。
 まずバディが、そして不思議が、それぞれ三十分のステージをつとめた。
 次いで俺がステージに上る。ちょうどその時に、倉井がギターケースを下げて店に入ってきた。歌い始めた俺に目礼して、なじみの客に会釈して、バディと不思議の隣に座る。
 ここんとこ事件にかかりっきりで、新しい曲は用意できていなかった。
 殺人とか、血腥いことが頭から離れていないのか、こういう歌い出しの曲を最初に選んでしまった。

  空飛ぶ死体 笑う狼
  爛れた三日月
  魔女と悪魔の宴が始まる
  そんな趣味の悪い絵が
  飾られている JAZZ BARで
  G(ゲー)でブルースをやろうよ

  乾いた瞳 紅い爪先
  どぎついおっぱい
  すみっこで飲んでる女がいるだろ
  俺のギターでもう一度
  泣かせてみたいヤツだから
  A(アー)でブルースをやろうよ

   もういないよ ここには
   あいつはいないよ
   エジソンの発明した
   電気椅子で焼かれたらしい

  下品なセリフ 煙る灰皿
  コインの囁き
  サクッとナイフでカードを封切る
  夜毎飽きずに繰り返す
  ブラックジャクのBGMに
  G(ゲー)でブルースをやろうよ

 なんだか練習不足の割には、指は滑るように弦の上を行き来するのが、意外な感じだ。ただ、声は少々出づらかった。
 またリカちゃんには、今の歌詞に出てきたような絵が飾られている。すると、どぎついおっぱいの女って私のことと、ママに聞かれて困ったことがある。実はそうなのだ。
 続けて二曲オリジナルを演ってから、ストーミー・マンディ・ブルースを渋く決める。 ディープなブルースの名曲だけど、実は?&ミステリアンズというメキシコ人の六十年代ビート・バンドのカバーを聴いて、レパートリーに入れたことは、俺の秘密である。
 そしてラストは、誰でも知っているスタンド・バイ・ミーで盛り上げて、ステージを下りた。
 俺はギターをケースにしまい、店の隅に立てかける。自分の席に座って、おしぼりで額を拭う。ママが作ってくれたハイボールを一口含む。見ると倉井はステージの上でチューニングをしている。
「じゃ、歌います」と、マイクに向かってぼそっと言ったかと思うと、ギターをかき鳴らし、あの独特の暗くて気味の悪い世界を弾き語り始めた。

  ナメクジを食べたことがあるかい
  にがい にがい にがい
  ヤスデを食べたことがあるかい
  にがい にがい にがい

 という、白髪鬼という歌や、

  君の中で僕はぶよぶよ太り出す
  炭酸を出しながらぶくぶく腐り出す

 という、胎児の夢という歌や、はっきり言ってハイボールにあわない歌が続く。ただ、倉井の歌がいいという下手物もいて、よく聴きに来る物好きな客も意外と多い。
「次の曲はオリジナルではありませんが、聴いて下さい」
 そして、どこかで聞き覚えのあるギターリフを繰り返す。ああ、あの時(狂楽堂にレコードを売りに行く前に倉井の部屋に行ったとき)、レコードを聴きながらコピーしていた曲だな。

  テレビニュースも新聞も 同じ話題の繰り返し
  …

 ええっ!

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2008年5月14日 (水)

遺書に名前を 密室脱出法の実演四

「それで額の瘤なのね」と、リカちゃん。
「で、菊池さんの方はどうなったの」と、不思議。
「なぜか彼の方は救急車で病院に運ばれた」
「この石頭が」と、リカちゃんが呆れる。
「とまぁ、あれこれやってみたが、犯人の脱出方法が結局見つかんなかった訳や」と、バディ。
「じゃ、こんな方法はどうかしら」と、不思議が提案する。「小屋の屋根から道路まで板を渡して、滑り降りるというのは」
「小屋から道路までは十メートルくらいあるんやで、そんな長い板が渡してあったら、後からやってきたジミーが不審に思うやろ」
「だから脱出の時まで、屋根の上にその板は乗せて置いたのよ」
「じゃ、その板を使った後で犯人はそのながーい板をどうしたんや」
「トラックに積んだのよ」
「十何メートルもある板を積んでいくには、大きなトラックが必要になるな」
「一枚板ではなく、何枚かに分けられるようにしていたら」
「どちらにしろ、あの道は夜中でも全く人通りのなくなる道ではなかったみたいや。そんな目立つ脱出方法を使って、万一誰かに見られてみろ、台無しやないか」
「たまたまうまくいったのかもしれないわよ。あっ、こういうのはどう」と、また何か思いついた様子。「この電線の所に、ワイヤーを張るのよ。屋根のどこかと、電柱とをワイヤーで結んでおいて、そこをぶら下がって渡ってゆくの」
「ワイヤーはどんなふうに回収したんや」と、バディ。
「ワイヤーをどこかの穴に通したり、突起物に引っかけてから、端と端を結んで輪っか状にしておけば問題ないんじゃない。電柱まで渡って、そこで結び目を解いてたぐり寄せれば、ワイヤーは回収できて、密室状態を作れるのよ」
「だめだめ。それやとワイヤーをたぐり寄せるとき、地面の上にワイヤーの這った跡が残るはずや」
「でも、残さない方法はあるわよ。結び目を解いたとき、たぐり寄せるのとは別の方の端にテグスみたいな細くて丈夫な糸を結んで、それを適度に引っ張りながらたぐり寄せると、ワイヤーは地面に落ちることなしにたぐれるわ。テグスは地面には落ちるでしょうけれど、跡までは残さないでしょ」
「でもねぇ…」
「私の推理の、何処が不満なのよ」と、ご機嫌ナナメ。自分の意見に賛同が得られないととたんにふくれるお嬢様の悪い癖。
「菊池さんの推理は、体力勝負で、いまひとつ納得が行かないし、不思議の推理は、また大がかりすぎる。大がかりなトリックを弄するのは、破綻の元だと思うけどな」
「でも、人目につかなければいいんじゃない。ライトニンが引っかかっているとこって、そんなもんでしょ」
「うーん」と、俺は頭を掻いた。「何か大きな見落としをしているような気がするんやけどな」

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2008年5月13日 (火)

遺書に名前を 密室脱出法の実演三

「じゃが、あんた」と、黒鹿毛老人。「あんたのやったことは、屋根の上にいかにして上がったかということだけじゃ。そこからどうやって脱出したかは、まだ見せてもらっておらん」
「それはこれからお見せします」
 菊池は屋根を西側の方に移った。俺達も小屋をぐるりとまわり裏側へ。
 そこで見たものは、腕組みして考え込んでいる菊池の姿だった。
「どないしたんや」と、老人。
「小屋と崖の間が、人に聞いたより広いんですよ」
「昔からずっとこんなもんやったが」
「思い切ってやってみましょう」
 そして菊池は、えいとばかりに崖に飛びついた。しかし飛びついたところは、ほとんど崖の下の方だった。
「こうして崖をよじ登って、脱出したんだと考えたんです」
「冗談やないで」と、老人。「そんな方法やったら、崖にはよじ登った手や足の跡が残るやないか」
「でも、そんなところまでは見なかったでしょう」
「下を見てみろ」
 そこには崩れた土や小石が、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。
「こんなふうになっていたら、いくらわしが惚けててもわかるわい。それに後から崖の上も見回ったけど、草が折れたり、足跡が残っていたりという、そういう痕跡はなかった」 菊池はずるずると崖を下りてきた。小屋の屋根に飛びつくと、再び屋根に上る。菊池が屋根の上で動くたび、妙にぎしぎし鳴るのが気にかかる。
 おりしも初夏の太陽光線がまともに当たるブリキの屋根。「ここは暑いなぁ」と、汗を拭う。
「何かわかりましたか」と、俺。
「ここから崖の上まで飛び移ることは、不可能だな、たとえオリンピック選手でも」
「そこから道路まで飛び降りたんやないですか」
「そっちの方がもっと無理だよ」
「電線を伝って、電柱から脱出したんやないですか」
 菊池は屋根を北東の角へ移動した。そして切れて垂れ下がっている電線をつまみ上げる。
「こんな細いのでは、人の重みには耐えられないよ」
 俺はさらに考えた。
「屋根と崖の上に一枚の長い板を渡して、その上を歩いて崖の上に脱出したというのはどうかな」
「それじゃ十メートル以上の長い板がいるやろな」と、バディ。
「梯子みたいなものでもいいんやないか」
 小屋の軒下にまだ梯子が残っていたので、俺とバディで取り外し、屋根の上の菊池に渡した。
 菊池はそれを崖の上に掛けようとしたが、全然足りなかった。
「どや、こんな方法ではあかんやろ」と、老人。「たとえ十メートル以上の板や梯子を用意していたとしても、崖の上が少し崩れて、跡を残すやろ。それにそんな長い板一人で引きずって歩いたら、崖の上に跡が残る。一人ではなくてたくさんの人間で運んだのなら、多くの草が踏みつけられて、もっと多くの跡を残すはずや」
 ということは、崖の上から犯人が脱出したと見るのは、無理があるのか。
 それにつけても、さっきからみしみし軋む音がだんだん大きくなってきている。
「梯子を受け取ってくれ」と、菊池。
「あいよ」と、俺が上を見上げたその時である。
 梯子が、屋根が、屋根の上の菊池が、俺に向かって迫ってきたのだった。
 ガーッという轟音と共に、小屋が崩れてきた。
 俺は後ろ走りをして、かろうじて崩れた小屋の下敷きになることは免れた。
 しかし、屋根から落ちてきた菊池を受け止めようとして、受け止めきれず、筋肉の塊であるところの体の下敷きになってしまった。のみならず、おでことおでこがごっつんこ。遠のく意識の中で、老人のつぶやく声が聞こえた。
「これで壊す手間が省けたわい」

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2008年5月12日 (月)

遺書に名前を 密室脱出法の実演二

 そんなところへ銀色に光る四輪駆動車が、カーブを曲がってくるのが見えた。何処のメーカーで、何という名前の車だろうか。いやみにもバディのポンコツの隣に並べて止める。
 運転していた男は、ドアを開けひらりと飛び降りる。サングラスをはずし、「お待たせ」と、のたもうた。そして小屋の方へ颯爽と歩いてくる。
「こちらがライヴハウス、ロッキン・ロックのオーナー、菊池さんです」と、老人に紹介する。
「初めまして、菊池です」と、老人に右手を差し出す。握手を求められたことに老人が気づかなかったので、照れ笑いをしながらその手を引っ込めた。
「ところで、あんたは寺島んちの坊主の知り合いと聞いとるが、いったい何の用かな」
「実は、私はジミーの自殺に疑問を持っています。その日生きているジミーと最後に会ったうちの一人なんですが、これから死に行くようには見えなかった。私は殺されたんだと思っています」
「じゃが、殺されたんだとしたら、あの時の状況をどう説明する。この地面は見ての通りの粘土や。雨で柔らかくなった粘土の上には、足跡は小屋に入っていく一組しかなかった」
「つまり、ジミー以外の人物がここを出入りしたということはないと言うのですね。でも、私なら出来ます」
「どうやって?」と、俺。
「今から見せましょう」と、菊池は小屋の入り口の下に立った。「いいですか。犯人は雨の降る前から小屋の中で、ジミーの来るのを待ち伏せしていた。そしてジミーが来ると、首にロープをかけて、梁に吊した」
「それから?」
「現場を後にしようとして、外を見ると、雨ですっかり粘土の地面は柔らかくなってしまった。ここに足跡を残すと、せっかく自殺に見せかけようとした事が失敗に終わってしまう。いや、もしかしたら犯人は、雨が降るのを計算の中に入れていて、より自殺に見えるようにしたのかもしれません」
「それで犯人はどうしたと考えているんですか」
「こうしたんですよ」
 菊池はこちらに背を向け、入り口の上の少しの出っ張りに指を掛け、ぐぐっと懸垂をするように体を持ち上げた。左手の指先だけでぶら下がりながら、右手を伸ばして小屋の屋根に指先を持って行く。そこに何かとっかかりを見つけて、今度は右手の筋肉が盛り上がり、体をさらに上に引き上げる。左手も屋根の上に掛けられ、あれよあれよと見る間に、菊池は屋根に上っていた。
「フリー・クライミングのテクニックを使ったんか。でも、それは誰にでも出来ることじゃない。見たところ入り口の上の出っ張りは一センチぐらいしかないし」
「でもまぁ、ある程度の腕力と技術があれば出来ることですよ」
「そうなると一番怪しいのは、菊池さん、あなたになりますよ」と、俺は上に向かって指さした。
「だからあなたたちに僕のアリバイを調べてもらったんですよ」と、菊池は下に向かって指さした。
「ああ、そういうことか」
「二人の女は僕の部屋でかち合って、次の朝まで冷たいにらみ合いをしていたと証言したでしょう」
「たしかにそうだけど」
「二人の話しは、なにか偽証している感じでもありましたか。うそをついている風に見えましたか」
「いや、そうは思えなかったけど」
「それなら僕にはアリバイがある」

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2008年5月 9日 (金)

遺書に名前を 密室脱出法の実演一

 次の日の夜、つまり最終土曜のライヴ・ディ、俺とバディがリカちゃんに着いたとき、すでに不思議はストゥールに腰掛け、ママを相手にビールをつぎ合っていた。
「倉井君、今日は遅れるから、先に始めてくれって」と、彼女は俺達の方を振り返って言った。「あれから何かわかったこと、あって?」
 俺とバディは、不思議を挟んでストゥールに座った。
「おおありさ。まず飯岡麗奈に会って、宮島美歌との出会い、そして彼女がどうして家出して、ジミーと同棲するに至ったかなどを聞いてきたよ」
「麗奈って、なかなかええ女やったよ」と、バディ。
「私たちよりも?」と、リカちゃんと不思議が息のあったハーモニーのごとく、問い返してきた。
「う…」バディは胸を押さえてカウンターにうつ伏せになり、死んだふり。
 俺はそのボケを冷ややかに見下ろして、「それからデイジー栗山が殺された」と言った。
「デイジー栗山って?」
「狂楽堂の下にある美容室をやっている人や。何で殺されたかわからへん。もし、その人がこの事件に関わり合いがあるとしたらの話しやけど」
「どんな殺され方したん?」
「須磨浦公園で絞殺体で見つかったと報じられていることしかわかっとらん。叔父には聞けない事情もあるし、ね」
「今日は今日で、ロッキン・ロックのオーナーには振り回されるし」と、いつの間にか生き返ったバディが言った。
「おかげで、事件の解明が進んだような、逆行したような」
「何があったん?」と、不思議
「つまり、ロッキン・ロックのオーナー、菊池さんに言われて、今朝十時に、ジミーの死んだ小屋で、小屋の持ち主、黒鹿毛さんと待ち合わせたんや」

 俺達のシティがそこに着いたとき、向こうの方から黒鹿毛老人がとことこ歩いてくるのが見えた。
 時計を見ると、まさに十時ジャストだ。しかし、肝心の約束をさせた本人はまだ来ていない。
「おはようございます」と、俺達は老人に挨拶をした。
「ああ、おはよう」と、老人はにこにこして答えてくれた。
「またおじゃまします。こっちは友人の堀井です」
 老人は、気の済むまで調べもいいと、快諾してくれた。
「でも肝心の菊池さんが来てないんですよ」
「その菊池さんという方も、寺島んちの坊主の死に疑問を持っとるんやな」
「多分そうだと思います」
「わしもあの自殺は腑に落ちないでな。本当ならこれは取り壊してしまいたいんやが、何か証拠を壊してしまうような気がして思い切れなんだ。でもさすがにこないだの地震で傾いてしまったので、いよいよ取り壊さなくてはいけなくなってしもた。もう中は空っぽにしてある。取り壊したら、小さな祠でも置いて、お地蔵さんをまつろうかとも考えておるんや」
「そうなんですか。きっと事件の真相を見つけてみせますよ。もうちょっと待っててください」と、俺は強がりを言った。本当のことを言うと、まだ五里霧中といったていたらくなんだけど。
「ひとつお尋ねしたいんですが、死んでいたジミーは私服でしたか、それともステージ衣装でしたか」
「死んでいたときのかっこうね。たしかコートを着ていたな。その下は覚えていないが」
「ステージ衣装とか入れた鞄は、残っていなかったですか」
「それも覚えてないな。ここにあったのは、ラジカセだけやった。そういや、鞄は車の中やったかな。後で警察から、見覚えないか聞かれたような気がするけど」
 俺たちと老人は、そういう話しをしながら小屋へ向かって歩いていった。
 前回来たときは夕方だったから気がつかなかったが、この時間に来てみると、この土地は南東に向かって開けているので、夏の陽差しがまともに当たり、暑くて堪らない。粘土質の地面も乾ききってカチカチだ。

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2008年5月 7日 (水)

遺書に名前を レイナは語る五

 その時、ドアが激しく叩かれた。
「ママー、おるんやろ。休みとちゃうやろ。やまちゃんが来たで。開けてーや」
 レイナは小さく首を振って言った。
「やまちゃんが来たら、もうだめね。まぁ、おおよその話はしたから、また聞きたいことがあったら来てね」
「ありがとう。また来るわ」と、俺は立ち上がり、ドアを開けた。すると、やまちゃんという男がころこんで入ってきた。
「なんや、おまえらは」
「俺はママの腹違いの兄で、こいつは種違いの弟や。それじゃ、レイナ、またな」
「待ってるわ」
 俺はぽかんとしているやまちゃんの目の前で、ドアを閉めた。

 やまちゃんの乱入で、俺は聞きのがしてしまったことがいくつかあった。でもそれはこの次にしよう。それを口実にして、あの美人にまた会いに行こう。
「さてと、どうする?」と、バディ。
「狂楽堂は今どうなってんのかな。酔いさましがてら、散歩せえへんか。おまえ、このままなら酔っぱらい運転になるで」
「そやな」
 こいつ、俺がレイナから話を聞いている間、いつのまにか一人でビールぐいぐいやってた。危なっかしくって、とても今運転はさせられない。
 ぶらぶら歩いて、元町に出る。狂楽堂のあったビルまで来る。
 最上階の灯りがついているだけで、ひっそりとしていた。俺達は階段を上り、狂楽堂のドアの所まで来た。
 まだ次の借り手はないみたいだ。ドアのガラスに狂楽堂の文字が、そのまま残っていた。鍵は掛かっていた。
 ここまで来たところで、別に何も変わったところはなかった。
 上の階でドアの閉まる音がしたので、俺達は下に向かった。
 ビルの外で出入り口を見ていると、髪の薄い、痩せたとっちゃんぼうや風の男がそこから出てきて、駅の方に向かって、背中丸めて歩いていった。
 腕時計を見てみると、もう八時を過ぎていた。
「あれが土田税理士やな」
「呼び止めて話を聞いてみっか」
「あいつは何も知らんよ」
 その時、黒い車がビルの前に止まり、その中から大神信彦刑事と桃谷、そして俺の知らない刑事らしき男が下りて、ビルに入っていった。
「ヤバイ。叔父が何で今頃」
 俺達はその場から逃げ出した。
 ホンダ・シティにもどり、とりあえず一息つく。
「叔父らがまたあのビルに来たという事は、なんか進展があったんやろか」
「さぁ」
「ちょいとニュースを聞いてみようや」
 カーステのスイッチを入れ、チューナーをニュースをやっているところに合わせてみる。どこも野球放送で、めずらしくタイガースが勝っていた。
 チェンジのところで、ニュースが入った。
『今朝、須磨海岸に打ち上げられた身元不明の女性の絞殺死体は、神戸元町で美容室を経営している栗山照代さん、二十七才と判明いたしました』
「ディジー栗山だ。あのパンクねえちゃんが殺されたんや!」

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2008年5月 6日 (火)

遺書に名前を レイナは語る四

 私にとって高校三年の時は、なんか戦いの日々という気がしたわ。
 まぁ、私にとっては、親が見放しているという気楽さはあったけどね。ただ、美歌は違ったのよ。
 美歌の両親は、まだ期待というプレッシャーをかけつづけていて、思い通りにならない我が子を嘆いてたんだよ。いい加減にわかれっつーんだよな。子供はひとつの独立した人格なんだよ。操り人形かロボットみたいに考えてたら、大間違いなんだよな。
 美歌は、生真面目で素直なところがあったから、私に感化されたり、親に引っ張られたりで、なんか方向を見失ってしまったみたいなんだ。
 私みたいに、気楽な性格だったらよかったんだ。
 そうこうしているうちに、学校に来なくなってしまったんだよね。家出をしたらしいという話も聞いたし。
 私もガラも心配したから、放課後に街で美歌を捜したものだよ。
 そうこうしているうちに、小耳にはさんだんだ。美歌らしい女の子が、あるライブハウスによく現れるって。
 そのライヴハウス、なんていったっけな。えっ、ロッキン・ロックちゃうかって?
 そうそう、そういう名前だったよ。
 そのロッキン・ロックには、よく行ったよ。別に中に入らなくてもいいんだ。表にたむろしている連中の顔を見て、美歌を捜せばいいんだ。
 そしてとうとう見つけたよ。
 だけど美歌はここでも一人だった。たむろしている連中から離れて、ぽつりと一人、道ばたに座り煙草を吸っていた。ちょっと物陰になっているような所だったので、顔がわかりにくく、しかも美歌らしくない服を着ていたんだ。なんかちゃらちゃらした、安っぽい光り物の服だった。
 時々レイナがここへ来て私を捜しているのをこうして見ていた、と言うの。何で物陰に隠れるようにしているの、何で声を掛けてくれなかったの、と私が言うと、別に隠れていたわけじゃない、気がついてくれるのを待っていた、なんてね。
 今どうしているの、と聞いたら、男と一緒に住んでいるという。
 その男はというと、ロックバンドのボーカルだという。
 私は一度会ってみたいと言ったら、次のライヴの時に来てくれたら、楽屋に招待すると言うので、じゃ、その時にまた会いましょうと、この夜は別れたの。
 ライヴの夜、私はガラと一緒にそこへ行ったわ。楽屋には、バンドのメンバーと談笑している美歌がいたわ。彼氏も紹介してもらったけれど、どってことない男だったわ。
 その彼氏やバンドメンバーが騒ぐので、ゆっくり話せる雰囲気じゃなかったので、今度は私たちだけで話しましょうと、美歌に約束させて楽屋を出たの。
 美歌は今の電話番号を教えたがらなかったから、その気になったら私かガラの所へ電話するように言ってね。
 その後で、ちらっとバンドのライヴを見たけれど、あのボーカルはステージの上に立つとまるで別人だったわね。
 それから美歌からの連絡を待っていたんだけれど、六年前の二月に入ったばかりのある日、遺書ともいうべき手紙を受け取ったのよ。その前日、二月七日、美歌は飛び降り自殺していた。

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2008年5月 5日 (月)

遺書に名前を レイナは語る三

 煙草吸っていい?
 私、メンソール入りのこれ、好きなのよ。別に美味しいからって訳でもないんだけど、なんとなくね。
 そうね、昔っから天の邪鬼だったわね。自分では個性的と言ってるんだけど、人と同じは嫌という性格は、人から見れば天の邪鬼ということになるわね。
 だからさぁ、クラスでは一人浮いていたって感じ。
 別につっぱってるとか、ヤンキーという訳ではなかったわ。ああいう連中って、一人じゃ何も出来ない弱虫だから、とかく群れたがるじゃないの。
 私は一人だったわ。独りぼっちだったわね。でも淋しさとか、孤独を感じていたわけじゃないのよ。ポリシーというのがあったから。
 でも、周りの連中よりも、ずうっと大人に憧れていたから、校則はよく破ったわね。で、貼られたレッテルが不良。
 有り難くそのレッテルを頂いたわよ。だって不良ってかっこいいイメージがあるじゃない。
 そのうちにさ、美歌の方から私に話しかけてくるようになったの。ちょうど二学期に入ったぐらいだったかな。
 意外だったわ。なんたって、トップというわけではないけれど勉強は出来る方だったし、校則はちゃんと守るし、真面目ないい子って感じで、私とは共通点のない人だったので、一学期なんて口もきいたことがないその美歌が、夏休みが終わって学校が始まったら、向こうから私に話しかけるようになってきたの。
 おもしろくないとか、つまんないとか、麗奈みたいになりたいとか言ってね。
 私はよく学校ずる休みしていた上に、人間関係にうといほうだから、気づくのが遅かったけれど、どうやら美歌、シカトにあってたみたいなのね。
 クラスには私以外にも、ぽつんと一人きりの子がいたのよ。名前は何だったかな。まぁ、いいや。ガラって呼ばれていた女の子がいたのよ。
 ガラってあだ名、ひどいでしょ。女の子に付けるあだ名じゃないわよ。なんか男の子がおもしろがって、そう呼び出したらしいけど。
 とにかく無口で、笑顔を見せない、何を考えているかわからない子だったわね。あたかも当然のように、いじめられていたわ。
 ところが美歌がガラをかばい始めたの。そうなりゃ、美歌もうっとおしい存在なのよ、やつらにとって。
 やつらは、ものの考え方もファッションも横並びで個性というものがなく、流行に左右されて、疑問を持つこともなく、ただ教科書の中身を先公に詰め込まれるだけの家畜で、当然そう言う生活を繰り返していたらストレスやフラストレーションが溜まるので、それを自分とは違う弱いものを見つけては、いじめることではけ口を求めている最低の集団の事よ。
 言い過ぎ? 間違ってる?
 とにかくそういうのが、クラスのほとんどだったわけ。
 いじめには参加しないけれど無関心、というのを除くと、美歌とガラと私がクラスのはみ出し者ということになったわけ。
 この三人は身を守るために、団結しなければならなくなったの。
 こうなったら私は学校、休めなくなってしまったのよ、美歌とガラのためにもね。
 とりあえず三人が団結したため、やつらはシカトはするけど、いじめはなくなったわね。
 後でわかったことだけど、やつらはグループの中で一番弱いのを新たな生け贄に選んで、いじめていたらしいのよ。ホント、サイテーだね。

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2008年5月 2日 (金)

遺書に名前を レイナは語る二

「そんなこと、言ってもええんか」
「別に秘密でもないし、警察も知ってるわ。ここでは危ないことはしてないし」
 明太郎はセ・ラ・ヴィで、俺達が飯岡麗奈の事を話しているのを海から連絡を受けたんだ。そして俺にここを教えてくれたんだ。しかし、たとえ麗奈を知っていたとしても、何で俺にそれを教える気になったんだろ。きっと利益があるはずだ。まぁ、いいや。なるようになれ、だ。
 それにしても、もうひとつわかったことは、俺達は常に風穴明太郎の監視下にあるという事だ。これは油断ならぬ、と思いながらストゥールに腰掛ける。
 彼女はビールの瓶を一本、王冠に栓抜きを当てる。
「あ、俺達、客やないから」
「いーの、これくらい奢らせて」
 王冠はぽーんと弾かれて、三つの冷やされたグラスにビールは注がれる。そして、慣れた手つきでカウンターの上を滑るように、俺とバディの前にグラスは並べられる。
「美歌に乾杯しましょう」
「こいつは車なんだけど」と、俺はバディを指差す。
「じゃ、ジュースね」と、バヤリースの瓶を出す。
 懐かしい!
 三つのグラスはカチンと音を立てて、当てられる。
 俺はほんの一口つけるだけのつもりであったが、その冷たさを体が欲していたせいか、ごくごくと一気に飲み干してしまった。ふと横を見ると、バディのバヤリースのグラスも空になっていた。
「あんたたち、いけるくちね」と、もう一本ビールとバヤリースの栓を抜く。
「まあね」
「みんな、美歌と私のこと、誤解しているみたいなの。いつか誰かに本当のことを話したいと思っていた。明太郎様から美歌のことを調べている人たちがいるから、行かせてもいいかと電話があったので、ぜひ来てもらいたいと返事したの。私自身、あんないい子がどうして死ななきゃいけなかったのか知りたいの。もちろんあいつに殺されたに決まってるけど」
「殺された?」
「殺されたとは言い過ぎだけど、自殺に間違いないんだけど、殺されたのも同然なのよ、あのロックバンドのボーカルに」
「ボーカル!」
 ジミーのことか。つき合っていたのはトッドじゃないんか。ジミーとトッド、そして美歌は三角関係だったのか。ますますこんがらがってきた。
 麗奈もグラスのビールをグーと飲み干す。そして言った。
「美歌との出会いから、順に話すのがいいみたいね」
「お願いします」
「多分、美歌の母親は私のこと、ぼろくそに言ってると思うけど」
「俺達が美歌のうちに行ったことも知ってるのか」
「女友達をスパイに仕立てて、彼女の母親からいろいろ聞き出したって、明太郎様から聞いてるわ。あの人は、美歌がおかしくなったのは、私と友達になってからだと思っているでしょうけれど、本当は美歌が反抗しだしてから、私と友達になったのよ」
「ふーん、それにつけても明太郎ってのは…」
「どう、あの方の恐ろしさ、少しはわかった」
 ところが俺は、…の部分は心の中でこうつぶやいていたのだ。
(そこまで俺達のことを監視してて、物好きにもほどがあるで)
 俺達にそんなエネルギーを注ぐよりも、他にやることがありそうなものだが。それとも俺達の調査を追っていれば、覚醒剤密売に手を出したヤツがわかるというんだろうか。
 麗奈が、高校二年の話しを始めた。

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2008年4月30日 (水)

遺書に名前を レイナは語る一

 北野坂にある三階立ての見てくれだけはおしゃれなビルである。プレートには、ざっと二十くらいのバーやスナックの店名が並んでいる。
 そのうちのひとつ『レイナ』が、彼女の店なのだ。
 バディが俺の服の裾を引っ張る。
「おい、どうする」
「どうするって…、どうしょう」
「やめとこうか、きっと高いで、こんなとこにある店」
「いや、こうなったら行かなあかん。ようするに客やないと、断って入っていけばええんや」
「追い返されるで。塩まかれるで。腕っ節の強いバーテンとかいたら、つまみ出されるで。リカちゃんみたいなママなら、ぶん殴られるで」
「そんなにネガティブになるんやったら、バディはここで待っとれ」と、俺は堂々とそのビルに入っていった。
 バディはしやーないなという風に、後からとことこ付いてきた。
 レイナは、一階の廊下の奥にあった。ノックして、体育会系風に「失礼します」と言って、俺は扉を開けた。
「待ってたのよ。あんたが大神って人ね」
 待ってた? その上、俺の名前を知ってる。
「そこにある準備中の札を扉の外に掛けておいて。あら、もう一人いるのね。まぁ、入ってらっしゃいよ」
 俺は言うとおり準備中の札を扉の取っ手に掛けて、閉めた。
 うすぐらい店内、その女性はカウンターの向こうにいた。
 ううううう、綺麗な人だ。鼻筋がスッと通っていて、厚めの唇が色っぽく、大きな瞳がきらきらしてて、胸のあたりまである髪は、濡れるような黒だった。赤と黒を基調にしたドレスに、肉感的な体を包んでいた。
 美人の前に出ると、俺はしどろもどろになってしまう。
「な、な、なんで…」
「何で名前を知っているのかって、言いたいんでしょう。明太郎様から電話があったの。美歌について知りたがっている男がいるから、話してやれ、と」
「風穴とは、知り合いなのか」
「私は雇われママで、この店のオーナーは明太郎様なのよ」

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